ハワイ旅でデッカイ外人に囲まれて怖かったから英会話始めました!
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英語が唯一得意だった学生時代。
クラスバカ代表の私が、英語だけはクラスでナンバーワンだったので
頭の良い人達が皆悔しがって、このバカ女に負けるとは!!!
とキレられまくっていたのは中学生まで。
高校生くらいから、上位10位以内に成績が落ち。。。
でも私は「英語だけは出来る!」と、心のどこかで調子こいてました(笑)
今日はお題に沿って、わたしと英語をテーマに「英会話を始める事になった17年前の話」をしたいと思います。
初めての海外旅行
初の海外旅行は看護学生の時。
ハワイの病院を視察して、日本の医療との違いを経験するという目的の修学旅行に行きました。
学生全員、食事は指定されたいくつかのレストランから選んで時間内に行くシステムでした。
指定されたレストランは1店を除き、全て日本食レストランでした。
私は英語に自信があったので、指定されたレストランも日本食ではなく白人が集う場所を選びました。
とはいえ、ここも観光客がたくさん訪れるレストラン。単語を言うだけで通じちゃう店でした。
同級生達はおおーっ!っと私を尊敬の眼差し。
私はここで完全に調子こきました(笑)
私は英語がペラペラです!!と、、、
これが英語で苦い思い出を作る事になるとは思いもよりませんでした。
新婚旅行でハワイへ
看護学校を卒業してから、外人と一度も関わる事がなく約8年後。
夫と新婚旅行へ行くことになりました。夫は初海外でした。
そして私が英語が出来る!と自分で言ってましたから(笑)信じてたんでしょうね〜。すまんね(笑)
場所はタイのプーケットを予定していましたが、出発2週間前にプーケットの地震が発生し、現地は津波で壊滅状態でした。
プーケットを断念する事となり、行き先をハワイに変更しました。
私は自分は英語が結構できると思っていましたので、ロクに調べることなく出発。
夫は行きたい場所を全てリサーチしていました。
日本語がほぼ通じない所を選び冒険の旅となりました。
とはいえ、ハワイは観光地。
なんやかんやチャレンジして外人しか行かないようなお店に行っても、私達は困る事なく旅ができました。
ある日の夜、日本人観光客が1人もいないレストランへ行くことに。
料理も頼んでお酒も飲んで楽しく食事が終わり、会計を頼みました。
いつものお店なら、伝票に合計金額とチップの料金が書いてあるのに、、、
この店はチップの所が空欄だね。。。と夫と考え、
そういえばチップは自分で計算するって旅行の本に書いてあったよ!今までなかったのが不思議だったんだから!と夫。
凄く良くしてもらったからウェイトレスさんには多目にチップを払おう!と話し合い、とりあえず会計代金をホルダーに挟んでテーブルに置きました。
私達はウェイトレスさんに直接チップを渡そうと思っていたので、担当ウェイトレスはどこにいるかなぁと見渡しながら玄関口に向かいました。
チップ文化を理解していなかった
ここで解説します。
アメリカの一般的なレストランはテーブル会計です。
ホルダーの中に伝票があり、お会計額が書いてあります。そこにウェイターへのチップを自分で書き入れて食事代金と合わせた合計金額をさらに書き入れて代金チップの合計金額を挟みます。
日本ではチップをあげたい時はこっそりと本人に手渡しするのが普通ですが、アメリカではウェイターへのチップは直接本人には渡しません。
私達はチップを払うつもりでしたが、文化の違いを知らなかったのです。
そしてこの時代、チップを払うことを知らない日本人が多いため、チップ込みの料金のレストランがハワイには多数ありました。今もかな?
今はどうかわかりませんが、チップ文化を理解していない日本人が多く、私達の様に、英語も流暢に喋れない人がバスに乗って遠くまで冒険して失敗するような事は無かったのだと思います。。。
さらに、アメリカではウェイトレスはお店からのお給料がごく僅かしかなく、お給料としてはチップが命綱です。だから良いサービスをしようと努力をしています。
なのにチップが払われないなんて、ありえない事なのです。そのような事情を何も知らない日本人には理解できませんよね。
デッカイ奴らに囲まれた恐怖体験
話を戻します。
そういう訳で、伝票にチップを書き入れられなかったウェイトレスは、会計伝票を見て愕然とした事でしょう。
だってチップの金額が空欄なんだから。
私のチップ、1ドルも無しってありえねーーーー!
このクソジャップがっ!!!
と、めちゃくちゃキレた事でしょう。
そう、私達はクソジャップでした。
あ、その時ホントにクソジャップって言われたんだっけな?(笑)
とにかくぅ。
ウェイトレスはめちゃくちゃ泣き喚いてレストランの出口に走って行ったのです。
そして私達は、あっという間に大きなアメリカ人達に囲まれました。
10人以上いました。
背は高いし、ごっついし、黒い人は真っ黒だし。
私達は超ミニな日本人サイズ。
夫も167センチ、私も157センチ。
囲まれると超怖ーい!T^T
担当のウェイトレスは泣きながら大男達に何かを訴えています。
なんて言っているか、ハッキリはわからないけど
どうしてチップを払わないんだ!!!
と何度も言っていました。たぶん。
日本語がホントにホントに少しだけ話せるスタッフがやってきて、
泣いてる!チップは?
を繰り返します。
私は日本語で答えました。「私達は払うつもりだったの!直接彼女に払おうと思ったの!!ごめんね!」
全く伝わりませんでした。
「払うつもり!!」と言っても全くダメ。
その外人、日本語少しも聞き取れないんです。
単語1つ2つ言える位なんです。
コイツ私と同じやんけ!!
コイツもたぶん、自分が日本語ペラペラだと思ってるんだろうな〜。周りから凄いとか言われて調子乗っちゃってんだろうな〜。と、その時はそれどころではなく。
とりあえずチップを手渡しして急いでホテルに帰りました。
帰りのバスはどんよりした空気の中、夫と反省し合いました。
チキショー!
チップ払う気あったんだ!文化の違いなんだ!!あ~話せなくて悔しい!!!
と、自己嫌悪に陥りながらハワイの夜に包まれました。
知ってると話せるは違う
この旅でわかったこと。
私は全然話せない。
私は英語が少しは話せて、レストランで注文できると勘違いしていました。
ただ単語を言ってただけ。指差しして通じただけ。
ジェスチャー得意だったから通じてただけ。
ボキャブラも全くない。
書くことができてた英語も遠い昔。
それも学校の勉強の上でだけだった。。。
数学を解くみたいに悩んで考えてパズルみたいに文法上の組み合わせをしていただけ。
話せる英語なんて1つも学んでなかったってこと。
中学レベルの英語がわかってても意味ないってこと。テストの上で回答できても実際は使えない。
しかも全部忘れてる。。。
ただ英語ってどんな感じか知ってるだけだったとわかりました。
これをきっかけに、まず夫が英会話を始めました。
そして数年後、海外旅行にハマった私達。
私も英会話を始めることにしました。
英語を始めたきっかけは、ハワイのあの苦い経験です。
でもあれから17年、英会話を始めてから8年くらいかな??
いつになったらペラペラに!?
まあ、17年前のようなことにはならないくらいは話せるようになったけど。
とにかくきっかけをくれたハワイよ、ありがとう!!
次は英語ペラペラでサーフィンとゴルフしに行くぜっ!
待ってろハワイ!早く終われコロナ!
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